![]() Hさんのお母さんより 中村先生、桑原先生には親子で大変お世話になりました。 息子が中学1年の2学期から学校に行かなくなり、まるで別人になってしまったかのような息子と向き合うことは、その当時本当に辛く感じていました。そのような中で、1年生の2学期後半に鈴蘭さんに辿り着いた時は藁をもすがる思いで一杯でした。親もまだ現実を受け止める余裕がありませんでした。
Yさんのお母さんより 娘はすずらん学園へ約3年通い、徐々に中学校へ行けるようになりました。 また、昔からある学校でなくとも、受け入れてくれる所がたくさんあるということを、知ることができました。 先生方には本当に感謝しています。
Aくんより 中学生から3年間通いました。 最後に
Aさんのお母さんより 息子は小学3年の頃から不登校になりました。
Yくんより 僕は、放課後デイサービス、リリーベルを卒園し、お仕事を始めています。 僕は、小学校の時、ひどい、いじめを受けていました。 高校1年生の時、リリーベルに通いました。 そして約3年ぐらいリリーベルの理事長や先生や友達と リリーベルに居ると、心があったかくなって、 リリーベルそしてリリーベルのみんな、
Yくんのお母さんより 息子は、家族の問題や学校でのいじめなどがあり、小学4年生の時、トゥレット症候群の診断を受けました。肉体的、精神的な苦痛があり、学校に行けなくなりました。発症前は、いつも公園でお友達と遊んでいましたが、発症後は、外に行けなくなりました。 色々な薬を試させて頂き、症状が軽くなってくると、退屈になり、お友達と過ごせる場所を探しました。 小学校、中学校では担任の個別授業と青少年センター、フリースクール、放課後デイサービスなど数件の施設に通わせて頂きました。 趣味の話が出来るお友達と過ごしたかったのですが、なかなか楽しく過ごせる場所に出会えませんでした。 高校も馴染めず、担任の先生が個別授業をして下さったので、放課後デイサービスを探し、鈴蘭学園さんの放課後デイサービス『リリーベル』さんに行かせて頂きました。 『リリーベル』は、息子が求め続けていた、お友達と趣味の話が出来て、楽しく過ごせる場所でした。先生は優しく見守り、細やかに気遣って下さるので自分の気持ちを伝える事が出来なかった息子が、いつの間にか先生に相談まで、出来る様になっており驚きました。 『リリーベル』に通い始め、楽しそうで、明るく元気な息子の姿を見る事が出来る様になり、感謝の気持ちでいっぱいです。息子から『良い場所に行かせてくれてありがとう』と言われた時には、胸が熱くなりました。 中村理事長は、親の心配までして下さり、定期的な面談で励まして下さいました。 就職に必要となるスキルを、日々の活動にさりげなく組み込んで下さり、息子も成長出来たと感じております。 卒園となり、とても寂しいですが、皆さんが応援して下さり、息子もお仕事を頑張れると思います。 これからも良い場所が続いて下さると、たくさんの親子が救われる事と思います。 |
![]() Kくんのお母さんより 息子は、中学1年生のゴールデンウィーク明けから、学校に行けないと言い出しました。いわゆる不登校になりました。学校に行くのが怖いと言出だし、約2ヶ月程家にずっといる息子を親もどうしていいかわからなかった時に、インターネットでフリースクールの鈴蘭学園を見つけ、すぐに鈴蘭学園に電話をし、一度見学に来てみて下さいと、とても気さくに対応をして下さり、息子を連れて鈴蘭学園へ足を運びました。 |
![]() Tくんより 鈴蘭学園を卒業した僕は高校に進学しました。高校の入学式に出席している僕を、過去を知っているもう一人の僕が、不思議そうな顔して見ているような気がしました。 僕は幼稚園も小学校も大嫌いで、それでも仕方なく通いました。中学校に入学して、遂に大爆発を起こしました。その後は布団とスマホだけが友達でした。大嫌いの理由は言葉にできず、大嫌いだったということだけしか言えなくて、幼稚園から中学校にかけての僕は最悪でした。 でも、そんな僕の未来を切り開いたのは鈴蘭でした。鈴蘭へは時々行って、お昼食べて帰って来るだけで、鈴蘭の何が良かったかと言うと、何も強要されないということでした。隠れ家みたいな校舎の中の、何も無い空間に、時間だけがいっぱいありました。そこでいろんなひらめきがあって、今の僕にたどり着きました。 実は、鈴蘭に決まるまでに、いくつかの学校をまわりましたが、直感で鈴蘭がいいなと思いました。隠れ家みたいな鈴蘭は当時の僕にぴったりでした。卒業してみると、鈴蘭には時間と空間のほかに夢と希望がありました。
Yくんのお母さんより 中一の夏休み前から不登校になり、ふさぎ込んでいた子供に同世代と触れあって欲しいと思い、フリースクールを探し見つけたのが鈴蘭学園でした。 子供は次第に本来の明るさを取り戻し、中学生らしくお友達と遊びに行くこともありました。高校受験も経て卒業式にはすすんで参加しました。 親子ともにつらいときもありましたが、中村先生が笑顔で支えてくださり、学習指導の先生も子供に合った方法で指導していただきました。 学校へは行けませんでしたが、心身ともに大変成長した中学時代でした。鈴蘭学園に通わせて良かったと思っています。 ありがとうございました。 |
![]() Oさんのお母さんより 思いおこせば 「すずらんはあったかかった〜」に、尽きてしまいます。 学校に違和感を感じ登校しぶりを繰り返し、6年生で不登校になった娘。鈴蘭とは4ヶ月足らずのご縁でしたが、混乱の中で中学受験を決めた娘に桑原先生をはじめスタッフの皆さんが一丸となって応援してくださったこと、忘れません。鈴蘭で中学生のお兄さん達と過ごす時間は全力で楽しかったそうです。 卒業の日、「皆には もう帰ってくるなよ!って言うんだけどさ、○○ちゃんはいつでも帰っておいで!」と泣笑いしてくださった中村先生の魔法の言葉がお守りとなり、新生活、混乱しながらも娘は歩いています。 鈴蘭学園との出会い、心から感謝いたします。
Oさんより 中村先生や、色々な先生、すずらんでの友達が私を楽しませてくれました。 |
![]() Kさんのお母さんより 理不尽ないじめにより、好きな事すら出来ない程無気力で毎日泣いていた娘。
Mさんのお母さんより 娘は中学2年生の3月から、中学校卒業までの約1年間、鈴蘭学園にお世話になりました。横浜線矢部駅から数分のところにある1軒のお家が鈴蘭学園です。ピンポーンと押すと、先生の「はーい、どうぞ」と言う声が直に届いてくる懐かしい雰囲気のおうちです。
Kさんより 私が鈴蘭学園に通い始めたのは中学2年の春で、1年の冬に人間関係が理由で不登校になったことがきっかけでした。その当時私は人間不信に陥っていたので、通い始めた当初は周りとうまく接していけるのかとても不安でしたが、鈴蘭学園の先生方やスタッフの方々に支えられて、いつしか鈴蘭学園が自分の居場所になっていました。
Oくんより 僕は中学1年の時から不登校になりました。最初は一日中家に居てテレビやゲーム中心の生活をしていました。その後、知人から鈴蘭学園のことを聞き親と面談に行きました。自分は最初はすごく警戒していて「そんなところ行きたくない」と思っていましたが、面談が終わりフリースクールの体験をしてみると先生や生徒さんたちが声をかけてくれてすぐに馴染むことができました。 |
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